イギリスで活躍する新進気鋭の振付家ジョン・クランコ(サム・ライリー)は、警察のおとり捜査により同性愛行為の罪で起訴される。
1960年、ロンドンを追われた彼は、シュツットガルト・バレエ団で客演することになる。
偏見もなく自分を受け入れてくれる同バレエ団に居場所を見つけた彼は翌61年に芸術監督に就任。
自由な発想で美と情熱を表現する作品とカンパニーを作り上げていく。
1969年、バレエ団はニューヨークのメトロポリタン歌劇場に招かれ、一夜にして世界の頂点へと駆け上がる。
監督、脚本は『ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男』のヨアヒム・A・ラング。
ジョン・クランコを知らなかったので調べてみた。
ジョン・クランコ (John Cranko, 1927年8月15日 - 1973年6月26日)は、南アフリカ出身・イギリス国籍のバレエダンサー・振付家。イギリスで振付家として名を成したのち、1961年からドイツのシュトゥットガルト・バレエ団の芸術監督を務め、同バレエ団をヨーロッパ有数のバレエ団に育て上げた。生涯で90作を超えるバレエを作り、代表作である 『オネーギン』 は金字塔と呼ばれ[1]、今日でも各国で上演され続けている。
いわゆるクラシックバレーとは一味違う振り付けで全編に魅力に満ちていた。踊り手の隠れた才能を見抜く力を持っていて、ゲイであることを隠しもしないし、タバコ禁止場所でも平然と吸っていた。
才能はあるけど、見ようによっては「傲慢」といえる振る舞いだ。しかし死ぬ少し前に「自分を愛してくれる人がいない」と孤独な心情を吐露していた。

