2023年01月04日

2022年ドキュメンタリー映画ベストテン

今日は伊豆高原駅に出る無料バスが運休なので名古屋から持ってきたお節、野菜で過ごしている。寒さは格別寒ーくて電気じゅうたんにくるまっていて、時々温泉に。コロンコロンに着込んで家の中にいる。

暖房器はあるが今のところ使っていない。痩せていないけど痩せ我慢はしていない。

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お節モーニング。特に椎茸の旨煮が美味しい。もちろん全部いただき物と買ったもの。

周りを2500歩ほど歩いたが車が一台通っただけでご近所さんのおうちも閉まったままで誰にも合わなかった。


ドキュメンタリー映画ベストテン(1位から3位あり、その他は順位なし)

1位

🎬『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』ドン・ミラー監督、脚本、製作/カナダ/82分

唯一無二の個性と独創性を貫く信念について、御歳90のボテロ本人と波乱万丈の人生を一緒に歩いてきたファミリーが語りつくすドキュメンタリー。

どこもかしこも綿を入れたようにふくらんでいて、ユーモアや豊かさを醸し出している。そんな作品ばかりと思い込んでいたら、このドキュメンタリーをみてハッとなった。拷問の痛み、圧政の怖さ、貧しさの極みなどを見ることができた。

南米のピカソと呼ばれているが方や鋭角、こちらはふくよかな曲線だ。幼い時の貧しい生活の中で絵を描き続けてきた90年の人生をご本人の口から穏やかに淡々と語る。その表情からは過去の悲劇など、感じることはできなかった。

作品賞

2位

🎬『ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえり お母さん〜』信友直子監督、ナレーション/101分

認知症の母と老老介護する父の暮らしを、ひとり娘である信友直子監督が丹念に記録した2018年公開のドキュメンタリー「ぼけますから、よろしくお願いします。」の続編。

「お前百までわしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで」ということわざがある。まさしく仲良くてご長寿の見本のようなご夫婦のドキュメンタリー

二人は住み慣れた家で、手作りの食事、お揃いのカップでコーヒータイム、洗濯はタライに風呂の残り湯を入れて手洗いして、絞る時だけ二層式洗濯機を使う、そんなちょっと不便な生活も二人のやり方だ。

新型コロナウイルスの流行で面会がかなわなくなってからも体力保持に筋トレをする父親の姿を、映画監督と娘の両方の視点で、慈愛に満ちたカメラを回し続けていた。

ベストカップル賞、女性監督賞

3位

🎬『ウンチク/うんこが地球を救う』トロイ・ヘイル監督/アメリカ/71分

アメリカを中心に、オーストラリアやイギリス、インド、メキシコ、スリランカ、タンザニアなどの国をめぐりながら、糞便についての過去と歴史、抱えている問題や可能性について検証。糞便と向き合うことで、悪化の一途をたどる地球環境を救う解決策を見いだしていくドキュメンタリー。

これは臭いものの話だが勉強になった。案外、お子たちにも受けそうだ。

宇宙ロケットの中の糞騒動、川に流れ着いた糞で疫病や空気汚染で苦しむ国など多岐にわたって紹介されている。

監督賞

🎬『オレの記念日』金聖雄監督/104分

1967年8月に茨城県・利根町布川で起きた強盗殺人「布川事件」で、冤罪で無期懲役判決を受けた桜井さんと故・杉山さん。20歳から29年間にわたって獄中生活を強いられた。

2011年に無罪判決、21年には国家賠償裁判で完全勝利を収めた。しかし、2019年には末期ガンで余命1年の宣告を受ける。だが3年が過ぎた現在も精力的に全国を駆け巡って冤罪撲滅運動をしている。

この事件は2011年にドキュメンタリー『ショージとタカオ』(井手洋子監督、撮影、編集)でよく知っていた。タカオさんはお亡くなりになって、ショージさんはガン宣告を受けても伏すことはなく、冤罪に苦しんでいる人を元気付けている。

刑務所生活も楽しく過ごそうと率先して体を動かしていたと語ってくれた。驚く精神力の持ち主だ。事あるごとに「自分ほど幸せな人はいない」と明るく言っている。数奇な運命を生きてもなお、弱音を吐かないショージさんに1日も長く生きてほしいと願うばかりだ。


🎬『北のともしび』東志津監督、撮影/108分

ドイツ・ハンブルクの郊外にナチスによって建てられたノイエンガンメ強制収容所がある。ここには、終戦までにユダヤ人や捕虜、政治犯など約10万人もの人々が収容されたいた。

1944年11月。この収容所にアウシュビッツ強制収容所から20人のユダヤ人の子どもたちが「結核の人体実験」の目的で送られて来た。実験によって衰弱した子どもたちは、ドイツの敗戦が色濃くなった1945年4月20日の夜、証拠隠滅のためナチスによって殺害された。

ナチスの人体実験で幼い命を犠牲にした「悲劇」に、向き合い続ける人びとの姿を描いたドキュメンタリー。

子どもを使って人体実験までしていたとは……一人ひとりの写真がクローズアップで映ったが可愛らしい子たちばかりだった。よくもこんな子らを結核菌を植え付けたり、終いには命を奪って証拠隠滅を図ったり、到底人間のやることではない。暗い気持ちになった。

音楽の選曲、作曲、ピアノの音色の良さが際立っていた。

音楽賞

🎬『バビ・ヤール』セルゲイ・ロズニツァ監督、脚本、編集/オランダ、ウクライナ/121分


1941年6月、ナチス・ドイツ軍は独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻。占領下のウクライナに支配地域を広げ、9月19日にはキエフを占領。9月24日、キエフで多数の市民を巻き込む大規模な爆発が発生。

その爆発は、ソ連秘密警察がキエフ撤退前に仕掛けた爆弾を遠隔操作で爆破したものだったが、疑いの目はユダヤ人に向けられた。翌日、キエフに住むユダヤ人のせん滅が決定され、9月29日から30日の2日間で、キエフ北西部の「バビ・ヤール渓谷」で3万3771名のユダヤ人が射殺された。

『アウステルリッツ』『国葬』『粛清裁判』の監督作品。第2次世界大戦時、独ソ戦の最中にウクライナの首都キエフ(キーウ)郊外で起きた「バビ・ヤール大虐殺」を描いたドキュメンタリー。

ウクライナの過去の歴史にこんな複雑な流れがあったり、大虐殺があったりしたことは知らなかった。いいように扱われていた国という感じを受けた。

🎬『東洋の魔女』ジュリアン・ファロ監督、脚本/フランス/100分

1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した女子バレーボールの大松監督や選手たちを追ってドキュメンタリー。

観ている間、これ日本人の監督さん?とおもいながら観ていたが、やはりフランスの監督さんだった。斬新というか、ありがちなドキュメンタリーとは違っていた。

選手の一人が「私たちね、もし金メダルとれなかったら日本に住めないね、って話していて、親しいルーマニアの選手に、もし負けたらルーマニアに行っていい?と聞いたら、おいでよ、皆でおいでよと言ってくれたんだよ」と思い出話をしていた。

貴重なフィルムとアニメ「アタックナンバーワン」が混ざりあっていて、非常に個性的なドキュメンタリーだった。


🎬『牛久』トーマス・アッシュ監督/日本/87分

茨城県牛久市にある東日本入国管理センターに収容された人々の証言を通し、日本の入管収容所の実態を捉えたドキュメンタリー。

日本でドキュメンタリー作品を撮り続けてきたアメリカ出身のトーマス・アッシュ監督が、施設の厳しい規制の中で、彼らたちの了解を得て、面会室で驚きの実情を訴える9人の証言を隠し撮りした。

命からがら紛争地域から逃れて日本来た人が4年以上牛久の入国管理センターに収容されている現実と、生活状況をつぶさに見せてくれた。テレビニュースの細切れの情報や文字だけの事件あらましでは到底想像すらできないことが映像で突き付けられた。

なんとかこの状況を打開しようとボランティアで闘う弁護士さんや民間の方、国会で取り上げてくれた議員さん等々に頭が下がった。

🎬『なれのはて』粂田剛監督、撮影、編集/120分

マニラの貧困地区で住む「困窮邦人」と呼ばれる高齢の日本人男性たちの姿を追ったドキュメンタリー。

かつては警察官、暴力団員、証券会社員、トラック運転手で、家族もあったが、何かの理由でマニラで日々を送る男性たち。

半身が不自由になり近隣の人々の助けを借りてリハビリする男、連れ添った現地妻とささやかながら仲睦まじい生活を送る男、便所掃除をして物置部屋に身を寄せる居候している男、バスの乗客を各方面に呼び込みでフィリピンの家族を支える老人男性。彼らの日常とスラムの人々の姿を捉えている。

海外移住して老後を海外でという話はよく聞く。そんな人たちは年金やたまに帰っても家があるというレベルの方々。今日観たのはわけあって「マニラの貧民街」に流れついた方。

皆さんお金もないが「歯」も数本ない。でも明日(将来)のことを考えなければ、その日、仕事すればいくばくか入って来て2、3日はなんとかしのいでいた。
ある時払いの催促なしでも必ず払ってくれる人を「人間をみて親切にしてくれる」場所。

家(日本人の感覚ではバラック小屋)も狭いし、汚いし、臭いし、虫もいるだろうし、とても住めたものじゃない。でも、この作品、なれのはてのなれは「慣れ」でもあるような気がする。住めば都とはいかないが、住めば「安住」の住処であろう。

数人お亡くなりになったがあちらの世でも安住しているに違いないと悲しみはあまりなかった。ここに出ている男性は若い頃は間違えなく「ハンサム」、これが普通?ならこうなったか……と、ふと考えてみた。

🎬 『さっちゃん最後のメッセージ 地下鉄サリン被害者家族の25年』西村匡史、神保圭作監督/64分/2022年

地下鉄サリン事件で重い障害を負いながらも懸命に生きてきた幸子さん。在宅で介護し続けた実兄・一雄さん一家の存在があった。

当時の報道フィルムが流されて、早や25年も経ったのかと思うと同時に、当時の不安感が蘇ってきた。何の罪もなくて一生をベッドや車椅子の生活になった幸子さんは、たまたま勤め先の研修のためにいつもと違う地下鉄に乗って被害にあった。駆けつけた兄は土色の顔を見てもうダメだと思ったと語っていた。

その時からどうにか意思疎通ができるまで家族全員が一丸となって幸子さんを支えていた。

このドキュメンタリーは観るものに「忘れないでほしい、風化させないでほしい」と訴えている。事件そのものは忘れることはできないが、被害にあった方が今も苦しんでいることを、忘れてはならないと思った。

posted by ミッキー at 09:13| Comment(0) | ベストテン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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