満州の北間島(中国吉林省)にある同じ家で、いとこ同士の尹東柱(カン・ハヌル)と宋夢奎(パク・チョンミン)は育った。中学を卒業すると二人はソウルの延禧専門学校(現・延生大学)に進学する。
尹東柱は医者になってほしいという父親を説得して文学部に入学する。彼は友人らと共に同人誌を発行する。
1941年に学校を卒業した尹東柱は日本に留学するために創氏改名して「平沼」になり、宋夢奎は「宋村」となる。1942年に二人は一緒に日本に渡り、宋夢奎は京都大学に、尹東柱は立教大学に入学する(後に同志社大学へ)。
だが、翌年、独立運動を先導した嫌疑をかけられて夢奎が逮捕され、帰郷しようとした尹も逮捕されてしまう。
1944年、いとこの宋夢奎と共に福岡刑務所に収監される。翌年、二人とも獄死する。
いま名古屋シネマスコーレで「ハートアンドハーツ コリアン・フィルムウィーク」と称して韓国の映画を4本『春の夢』『あの人に逢えるまで』『バッカス・レディ』『空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜』を上映している。
その中の一つ『空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜』は詩人のくくりで書いてみた。
尹東柱は1917年に生まれて1945年の27歳で獄死している。今年は生誕100年にあたる。
モノクロの画面に美少年ともいえる面立ちの青年が浮かび上がる。その眼の光に純真かつ意志の強さが宿っている。民族の誇りを捨てないでハングル語で詩を書き続けたが、その多くは収監された福岡刑務所内で没収され捨てられたようだ。
刑務所内での取り調べでは一切拷問シーンはないが、はるばる朝鮮から面会にきた父親は息子・尹東柱の死と腕に注射の跡がたくさんある宋夢奎を見て人体実験をされていると直感する。
当時、九州大学でひそかに行ったといわれている人体実験を思い出した。息子の骨を携えて故郷に向かう父親の気持ちを思うといたたまれない。