
テキサス州に住む6歳の少年メイソン(エラー・コルトレーン)は、もう一度大学で学ぶという母(パトリシア・アークエット)と姉サマンサ(ローレライ・リンクレイター)の3人でヒューストンに転居した。離婚した実父(イーサン・ホーク)はアラスカから戻って来て久しぶりに再会する。
ヒューストンの暮らしは、母の再婚(相手は大学教授)でその家族と暮らすようになるが、その結婚も義父が支配的で暴力をふるうことに絶えられず逃げるよう離婚。また3人で暮すようになる。
この作品はシドニーで観た。
その時の感想は
『Boyhood』を観たが、名古屋の配給さんから通知が届いていた『6才のボクが、大人になるまで。』とは知らなかった。主演の男の子、姉、父、母の4人は12年をかけて同じ俳優さんで撮っている。この家族は両親が離婚して、母親はそれから2回結婚する。この母親はどうも男選びが悪く、子どもたちは時々会いにくる実の父が頼りなのだ。本当の時間の流れの中で成長を見守るように観てしまった。この映画を早く名古屋に帰って字幕つきの試写で観たくなった と書いた。
名古屋の試写日は身体が少しだるかったが、この試写だけは!と思って行ったが、字幕なしで観たときの感動(涙までこぼしてしまった)は薄まっていた。
英語がわからないから大仰な内容と思っていたのだろうか。実際、起こっていることは痛い場面もあるが、アメリカでは、そんなに珍しいことではない内容とも感じた。
この映画は12年間を同じ俳優さんで撮っている。いつも観る映画とはその点が違うが「それがあまりにも自然」なので「12年、同じ俳優で」が意識できなくなったのだ。
普通の映画なら「似ている子役をつかっているな」「この姉妹、長女はお父さん似にしているな」「こりゃ、どう見たって親子は無理」などと思いながら観ているが、その「思いながら」が反対に「刺激」になっていることに気付いた。
俳優さんにとって、この12年間はどうだったのだろう。一緒にある時期、必ず撮影で共に過ごす年月を思うと1人ひとりの中に「生きていなければならない」という、この映画の一番大切なことに気付いていたに違いない。
12年間とひと言でいっても生き続けることは簡単ではない。ましてや映画に即した老い方をしなければならない。最初から出ていた母親のおばぁちゃん役の方も「12年」元気でいたということだ。
それを思うと、字幕なしで観た感動が少しずつ甦って来た。第64回ベルリン国際映画祭で監督賞にあたる銀熊賞に輝いた作品。
リチャード・リンクレイター監督は『ビフォア・サンライズ』『ビフォア・サンセット』『ビフォア・ミッドナイト』の方。