正月明けて初めてうちから300歩(信号なし)のコメダにいった。コーンスープと小さいピザを頼んだ。観た映画の感想など書こうと思ったが、流れてきたのはお話。それも意外や次々と面白く展開して5、6分聞いていた。
また違う話になるみたいなので、バイト君に聞いてみた。「これって今までなかったよね、コーヒーをのみながら持参した本や、何か他ごとを考えたい人にとって、とっても気に障るんだけど」と言うと日本全国同じでこちらでは音量くらいしか変えられなんです」と教えてくれた。
全国津々浦々行ったわけではないが 名古屋は音には鈍感。名古屋発祥のコメダで裏打ちされた。
🎬『薔薇の葬列』松本俊夫監督、脚本/104分/1968年
エディ(ピーター)は、ゲイ・バーNO1。経営者の権田(土屋嘉男)と身体の関係をもった。権田と同棲しているゲイ・バーのママ、レダは、それを薄々知っていて穏やかではなかった。
エディとママ激しく半目しあう、レダを消してしまえば……と想像するが……。
良い日和だったから大須シネマの薔薇『薔薇の葬列』にするか、ミッドランドスクエアシネマのカーネーション『葬送のカーネーション』と迷った。やっぱりカーネーションにすべきだった。
54年前の作品で当時は前衛的なもの実験的なものと位置付けられているが、なんの感慨も湧かなかった。当時として斬新な作りとも思わなかった。
この映画で見出されたピーターも自然な美しさはなく、人工的に出来上がった姿ばかり。
当時、通行人まで気を使わず撮っているせいか、面白いことに「彼ら」を遠まきに見ているサラリーマンやおばさんたちのこわばったような表情が見ものだった。