
野田真吉の会場は山形市民会館の小ホールで定員は300。それが立ち見ができるほどの人気ぶりだ。寒いにを覚悟でずらりと並んだ外まではみ出した列に並んだ。この特集を組まれた方々に感謝の気持ちでいっぱいだ。
🎬『まだ見ぬ街』モノクロ/12分/1963年
長崎の造船所のPRフィルムの撮影の合間に撮った街並み。
当時、どこにでもある風景を、実験映画ということで、斬新な現代音楽や次々と進む早やすぎる撮り方が不満。歩くような速度で街の音をそのままに観たかった。
🎬『ふたりの長距離ランナーの孤独』モノクロ/9分/1966年
東京オリンピック競技中、甲州街道を走るアベベ選手がトップで独走している時に、道横から出てきた男がアベベの先を走るハプニングが起こった。偶然、監督が『オリンピックを運ぶ』の撮影中に偶然に撮影したもの。
この映像が10 回以上繰り返し、繰り返し出てきた。これも実験映画。世界のアベベ選手の先を行く男。ユニークな作品だった。
🎬『ゆきははなである:新野の雪まつり』モノクロ/129分/1980年
新野の雪まつりは「雪は豊年の証し、雪は花である」と伝えられる豊年を願う仮面祭り。その一部始終(村役たちの寄り合い、舞の稽古、年寄りが若い衆に手筈を教える)を丁寧に抜かりなく描き切っていた。
祭の時は寒い1月14日から15日。場所は諏訪神社を出発し伊豆神社に向かい本祭りが始まる。夜通しの祭りで雪が降ると豊作になると言われている。
当時の地方の祭をこんなに丁寧に撮ってあることに驚いた。神事だが農民たちは気負いはなく、祭と一体になって豊年万作を願っている。その村人たちの誇らしげな笑み、精神の素朴さが画面いっぱいに広がっていた。
14日の夕方に舞が奉納され、15日午前1時ごろに松明に点火。面形をいただいた神様「さいほう」が登場し、松と田うちわを持って舞います。その後「茂登喜」や本物の馬のように見せる「競馬(きょうまん)」、宮司が務める重要な神事「お牛」などが登場し、多彩な舞が明け方まで繰り広げられます。 この雪祭りは祭り当日に雪が降ると豊年になるという豊穣祈願のため、当日雪がない場合は峠に取りに行きます。 また、祭事は順序に従って行われ、見物人たちが「らんじょう、らんじょう」と薪などの棒でたたきながら神々に呼びかけることから始まります。