今朝、テレビ「チコちゃんに叱られる!」を見ていたら、その昔、スパゲッティは手掴みで食べていたと言っていた。そういえば昨日見た『笑いの王』の舞台上で手掴みで食べているシーンがあった。喜劇だからそうなのかと思ったが違っていたようだ。今日は引き続きイタリア映画祭をオンラインで楽しむ予定。
🎬『アメリカ・ラティーナ』ディンノチェンツォ兄弟監督/92分
中年の歯科医マッシモ(エリオ・ジェルマーノ)は家の玄関を開けるとすぐ曲がりくねったドッグランができるように、工夫を凝らした素敵な屋敷に美しい妻と女の子2人の4人家族で住んでいた。
そんなある日、用事があって別棟の地下室に降りていくと手足を縛られ口輪をはめられた少女が恐怖に震えていた。
どうしてここにいるのか、名前は?どこから来たのか?と聞いても悲鳴をあげるばかりだった。寒そうな様子だったので暖かい服に着替えさせて、歯科医院に出かけるが、少女のことが気になっていつものように治療できないマッシモだった。
ミッキーも「誰かに妬まれて少女を地下室に入れて彼を貶めようとしたのか」とか「誰かがおいていったのか」など考えながら見ていたが、意外な終わり方で幕となった。
サスペンス度は高いが見終わってみたら「それ」を暗示する出来事や場面がなかった。それがあれば「そういえば、あのシーンがそうだったのか」と気付かなかったうかつさを面白がるのに、l唐突すぎて残念だった。
🎬『そして私たちは愚か者のように見過ごしてきた』ピエルフランチェスコ・ディリベルト監督/108分
大企業の管理職のアルトゥーロ(ファビオ・デ・ルイージ)は、自分が開発したアルゴリズムによって解雇された。 美人の恋人にプロポーズをしようと有り金のすべてを使っていて文無し。もちろん恋人にはふられる。
アパートも広いところに変えたばかりなので、同居人(大学勤務の男が来た)を募集したり、新しい働き口をさがしたりと会社解雇や失恋の痛手を感じる暇もなく右往左往していた。
そんな48歳の彼が見つけた仕事は配達人、いわゆる日本のウーバー・イーツだった。機械化、電子化、オンライン化された世の中にホログラムまで登場する悲喜劇。48歳まで何していたの?と言いたいが、彼の性格はどちらかというと人の良いのんびり型だから、48歳まで独身だったのだろう。
貧しい者は睡眠時間を削って身体を酷使して働き、お金持ちは一層お金持ちの図式は変わらない未来社会を見せてもらった。笑いも時にはひきつった笑いになった。